小倉百人一首の撰者(せんじゃ)として知られる歌人藤原定家(一一六二~一二四一年)がつづった日記「明月記」の原本の一部が愛知県碧南市で見つかった。これまで確認されていなかった記述があり、平安末期から鎌倉時代にかけて活躍した歴史的な歌人の横顔がうかがえる。
明月記は定家が十八歳から七十四歳までの日記で、宮廷の社会や文化、所感を記した。冷泉家時雨亭文庫(京都市)が原本の大部分を所蔵し、二〇〇〇年に国宝に指定された。原本から離された断簡(断片)が各地に伝わり、山形、島根各県では県指定文化財となっている。
コレクションには真贋(しんがん)が曖昧な作品が複数存在する。断簡は明月記の一部とされてきたが、写しの可能性もあるため、同館が東京大史料編纂(へんさん)所の藤原重雄准教授(日本中世史)に調査を依頼。藤原准教授が同時期の原本と比較し、使われている和紙や筆跡から同一のものと見なせると確認した。
縦三〇・八センチ、横五二・五センチで軸装されている。一二一二(建暦二)年、定家が仕える九条家に参った後、順徳天皇の行幸に参仕したと書いてある。藤原准教授によると「已昏黒也、日臈雖難堪、改冠帯、戌時許参内(既に真っ暗で、一日中出仕していてしんどいのだが、装束を改めて、午後八時ごろに内裏に参った)」と、夜の参仕への不満をつづっている。分量は多くないが、原本の空白部分を埋める「唯一性がある史料」だという。
コレクションからは、室町時代の絵巻物「てこくま物語」下巻の原本も見つかった。明月記断簡と、てこくま物語は、十九日から碧南市藤井達吉現代美術館で始まる企画展「へきなんの文化財 未来へと守り伝えるもの」で初公開される。
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貴重な品が相次いで確認された愛知県碧南市の「石川三碧コレクション」は、美術に関心を持ち、文化人と積極的に交流した三碧の活動によって残された美術作品群だ。これまでの調査では…
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