百人一首の入門として、本書ほど楽しくわかりやすいものはない、と思う。(俵万智)

容紹介:古くから日本人に愛された望郷歌、若々しい匂いやかな恋歌、機才頓智が人気の歌、四季の風趣を愛で静かな情感をたたえた歌。王朝びとの風流、和歌の雅びを心ゆくまで堪能できる「百人一首」。私たち現代人にも通じる感懐をうまく掬いあげ、千年を歌いつがれてきた魅力の本質を、古典に造詣の深い著者が、新鮮な視点から、分りやすく、縦横無尽に語る。
内容紹介:古くから日本人に愛された望郷歌、若々しい匂いやかな恋歌、機才頓智が人気の歌、四季の風趣を愛で静かな情感をたたえた歌。王朝びとの風流、和歌の雅びを心ゆくまで堪能できる「百人一首」。私たち現代人にも通じる感懐をうまく掬いあげ、千年を歌いつがれてきた魅力の本質を、古典に造詣の深い著者が、新鮮な視点から、分りやすく、縦横無尽に語る。


《書き手:俵万智》

高校で国語の教師をしていたころ、一月の一番始めの授業では必ず「百人一首」のカルタ取り大会をした。

札を取りあう様子を見ていると、歌を暗唱している生徒は、ほとんどいない。たまに、何首か覚えている、という子がいるぐらいである。

「あいーみてーのおー」と私が節をつけて読みあげると、ゲラゲラ笑う。小さいとき、母が読んでくれた調子をまねているので、あやしげであることは認めるけれど、とにかく節をつけるということが、彼らにはおかしくてたまらないらしい。

つまり、聞いたことがないのである。

一番びっくりしたのは、初めて教室で「百人一首大会」をしたときのこと。かなりの数の生徒が「取り札には、下の句しか書かれていない」ということを知らなかった。

「先生、ちゃんと説明してくれなきゃ、だめじゃん。やり方は普通のカルタと同じです、なんて。この札、途中からしか字が書いてないよ」と、ある女生徒が大きな声で言うと、なーんだそうだったのか、という顔をする子が随分いる。

「あいーみてーのおー」と読まれたら「あいーみてーのおー」の札を、彼女は探していたらしい。人の取る札を見て「何かおかしい」と気づいた。

以後、教室で行うときには「取り札には、下の句しか書かれていません」と、一言つけ加えるようになった。すると今度は「先生、下の句って、どこからですかあ?」なんて質問が出たりして、私は思わずへなへなっとしてしまう。

「若者の百人一首離れ」はかなり深刻なものだ。なんだか自分が、もう若者ではないような気分になってしまうほど。

が、私とて、全部を丸暗記とまではいかない。母親の世代になるとさすがで「むすめふさほせ」なんて呪文めいた言葉を含め、少女のころからせっせと覚えていたという。

今年大学生になったばかりの弟は、中学生のときに学校で「強制的に」覚えさせられたのが災いして、百人一首と聞くといやーな顔をする。

「あんなもんを昔の人が作るから、僕らが迷惑するんだよな。化学記号なら、丸暗記したあかつきには役に立つけどさあ」

かなり重症の百人一首嫌いである。おそらく、テストでよい点がとれなかったのだろう。

彼は、理系の少年なのだ。

弟のような不幸はくりかえすまいと、私は暗記の強制だけはやめようと思った。かわりにその楽しさを少しでも知ってもらおうと、生徒向けにプリントを作った。

そこでよく引用させていただいたのが、『田辺聖子の小倉百人一首』である。

【田辺聖子の小倉百人一首】 著者:田辺 聖子出版社:角川書店装丁:文庫(475ページ)
【田辺聖子の小倉百人一首】
著者:田辺 聖子 出版社:角川書店 装丁:文庫(475ページ)

そもそも私が、古典に興味を持つようになったのは、高校生のときに田辺聖子さんの『新・源氏物語』を読んだのがきっかけだった。授業で習った『源氏物語』は、とてもつまらなかったのだけれど、古典の先生が紹介してくださった『新・源氏物語』のほうは、とびきりおもしろかった。夏休みの宿題の読書感想文を、この本で書いたので、今でもはっきり覚えている。

『百人一首』のプリントを配っていると、『新・源氏物語』を紹介をしてくださった先生の顔が心に浮かんだ。あのときの先生の気持ち、よくわかるなあ……。

教師をしていた者が言うのもなんだけれど、教科書で学ぶ古典は、あまりおもしろくない。生徒たちの人気もなく、たぶん「嫌いな教科アンケート」なんていうのを実施したら、輝くベスト3に入るだろう。

教室では、本書に登場する与太郎青年と熊八中年の存在が、ことに人気を博した(生徒のなかには、この二人顔負けの、楽しい大ボケをかましてくれる子もいましたけれど)。

この本の魅力の一つが、彼らにあることは間違いない。

古典の入口に立っている生徒たちには、与太郎青年や熊八中年のような発言は、実に心強いのだ。私自身も、読んでいて何度も嬉しくなってしまった。

「親王さんというような偉い人が、自分で摘み草なんか、しはりまんのか」

「なんで見もしない女が、好きになれまんねん」

「現代キャリアウーマンの願望を絵に描いたような人ですな」

「お勉強」と思って古典に接していると、疑問や感想が湧いてきても、口に出してよいものかどうか、迷うことがしばしばある。

ユキヒラ鍋や小倉ぜんざいのルーツについては、彼らが質問してくれたおかげで、私も知ることができた。まことに頼もしい同行人である。

こういう仲間が一緒にいると思うと、歌の解釈や歌人たちのさまざまなエピソードも、いっそう楽しく読める。

本書の、またもう一つの魅力は、そのエピソードの豊富さだろう。

百人一首というと、やはり歌が主役。一つ一つの歌は知っていても、案外作者については、知らないことが多い。なかには作者名さえ、ちゃんと言えない歌もあったりする。

それが、一つのエピソードが語られると、歌と作者とが分かちがたいものとして、心に定着してしまうから不思議だ。

百人一首に登場する人物同士の関係にも、折りにふれ丁寧に言及されている。この点もありがたく、わかりやすい。

古典の入門として、百人一首ほど入りやすいものはないだろう。小説で言うなら「短編読み切り」という感じ。その百人一首の入門として、本書ほど楽しくわかりやすいものはない、と思う。

高校生の話ばかり書いてしまったけれど、実は私の母も、本書の愛読者。

モト少女の弁を聞くと、意味のわからないまま覚えている歌が、意外とたくさんある、とのこと。「百人一首」との第二の出会いを…

 

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