多賀城5町内と災害時 百人一首にも詠われた「末の松山」近接2寺 /宮城

 「契りきな かたみに袖を 絞りつつ 末の松山 浪こさじとは」(約束しましたよね。涙を流しながら。末の松山が浪を決してかぶることがないように2人の愛も変わらないと。それなのに)
 「契りきな かたみに袖を 絞りつつ 末の松山 浪こさじとは」(約束しましたよね。涙を流しながら。末の松山が浪を決してかぶることがないように2人の愛も変わらないと。それなのに) ※日経スタイルより


多賀城市八幡の著名な歌枕の「末の松山」に近接する2寺は、周辺5町内会と「災害時の施設利用協定」を結んだ。末の松山は古歌で、津波が越えることはなく「ありえないこと」の例えで詠まれてきたが、東日本大震災でも津波は達せず避難場所になっただけに、住民らは「いざという時に心強い」と喜んだ。

住民の避難場所にもなった「末の松山」=多賀城市で
住民の避難場所にもなった「末の松山」=多賀城市で

末の松山は太平洋から約2キロ内陸の標高8メートルの高台で、推定樹齢480年、高さ約20メートルの2本のクロマツが並ぶ。百人一首の「契りきなかたみに袖をしぼりつつ末の松山波越さじとは」や、古今集にある「君をおきてあだし心をわがもたば末の松山波もこえなむ」などの歌に登場するほか、名勝「おくのほそ道の風景地」にも指定されている。震災時には、約1メートルの津波が寺の門前の道路に押し寄せたが、松山も寺も浸水は免れ、多くの住民らが避難した。

協定では、八幡地区の5町内会の住民約4900人が災害時に無償で利用できる寺の施設や双方の連絡窓口などを明記した。この日の締結式で…

「契りきな かたみに袖を 絞りつつ 末の松山 浪こさじとは」
「契りきな かたみに袖を 絞りつつ 末の松山 浪こさじとは」百人一首に残る1100年前の大津波の秘密(日経スタイル)