競技かるたを題材にした漫画が人気を博し、今春も映画化されるなど百人一首ブームが続いている。先人に倣ったつもりで、和歌に詠まれた風景を巡ってみたくなった。
記者(43)の百人一首の知識は高校の授業で止まっている。まずは「百人一首を楽しくよむ」(井上宗雄著、笠間書院)を参考に、目的地を選ぶことにした。巻末の「歌枕地図」が使えそうだ。
百人一首は選者の藤原定家が京都の山荘で編んだとされ、「歌枕」の場所も畿内に集中している。記者が赴任経験のある大阪で探すと「難波」の文字が目に飛び込んできたので早速向かうことにした。
まずは「難波潟(なにはがた) みじかき芦(あし)の ふしの間も 逢(あ)はでこの世を 過ぐしてよとや」。難波潟は現在の大阪湾の一部。水辺にはアシが広がっていたといい、節と節の間の短さを、つかの間の逢瀬(おうせ)になぞらえたという解釈が一般的だ。
大阪市立自然史博物館の横川昌史学芸員によれば「あえて現代の大阪で探すなら『アシが広がる難波潟』と比較的似ている可能性は大きい」。
当時と似た風景は何とか見つけられたようだが、残念ながら、はかなさや切なさといった文学的な感覚は湧き上がってこなかった。和歌の世界を味わうためには、感受性も必要なことを痛感した。
次は「わびぬれば 今はた同じ 難波なる みをつくしても 逢(あ)はむとぞ思ふ」。かつて大阪の海に並んだ水路標識の「澪標(みおつくし)」と「身を尽くす」をかけて、恋い焦がれる気持ちを詠んだ歌だそうだ。
大阪市によると、水路標識としての澪標は現存しないという。水族館や観覧車が立ち並ぶ臨海地区にも足を運んでみたが、澪標をあしらった大阪市章がマンホールに刻まれているだけだった。
今度は東京都内から一番近そうなスポットを探してみることにした。歌枕地図を眺めていると、駿河湾付近の「田子の浦」が目に留まった。
「田子の浦に うち出でてみれば 白妙の 富士の高嶺(たかね)に 雪は降りつつ」。記者でも知っている有名な歌だ。静岡県富士市の「田子の浦港」を目指す。
最寄りのJR東海道線吉原駅に到着した。改札口の地図に、和歌を連想させる観光スポットは見当たらなかったが、一般社団法人富士山観光交流ビューロー(同市)に尋ね、作者の山部赤人の歌碑がある公園を教えてもらった。
駅から徒歩30分ほどの道中。横目に見る田子の浦港周辺は工場が立ち並び、百人一首の世界とは無縁という印象だが、埠頭の一角で「歌碑は移設しました」との看板を見つけた。もともと歌の舞台はここなのだろうか。
県や市によると、以前の歌碑の場所は、伊豆地方との間で運航していたフェリーの発着場。昔は往来も多かったが、2002年に航路が廃止に。12年に歌碑も移設された。
「かつての『田子の浦』は周辺地域も含めた海岸の呼称で、『山部赤人がまさにここで詠んだ』という場所は特定できない」(県田子の浦港管理事務所)という事情も背景にあるようだ。
歌碑が移設された公園にたどり着いた。あいにくの曇り空だったが、芝生が広がる公園自体が高台になっていて、歌碑越しに富士山も望めるなかなかのロケーションだ。
富士山の100分の1、37.76メートルの展望台もある。田子の浦港は「工場夜景」の名所としても注目されているといい、夜景越しの富士山というのも現代ならではの風景だ。
百人一首の風景を巡るのは、ガイド本をなぞるようにはいかなかった。せめて詠み人たちに敬意を払いつつ、後世に伝えたくなる風景をもう少し探してみたい。
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■地名登場は4割程度
奈良女子大の岡崎真紀子准教授によると、そもそも「歌枕は必ずしも、歌人が実際に行って見た風景を詠んだとは限らない」という。
「日本三景」にも数えられる「天橋立」(京都府宮津市)のような…
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